Top Page / Who's Who / 伊島薫

■伊島薫さんについて

    1954年(京都まれ)

    1977年の個展「It's a beautiful day」(銀座ニコンサロン)を契機に、フリーランスに。1980年にフリーペーパー「SALE」を創刊、 同時期より音楽関連の撮影を開始。

    写真家としての第一歩を踏み出した頃にアマチュアでパーティーバンドとして活動していたプラスチックス(Plastics) のメンバーと知り合い。アマチュアからプロに転向しようとしていたメンバーからリズムマシンの操作の担当者としてメンバーに 誘われたものの、写真家になったばかりだったため、メンバーになることは断ったそうです。

    その後もプラスチックスのライブなどでは写真を撮り続け、全米ツアーにも同行。その時の写真が雑誌に採用されるようになったことから音楽関係の写真の依頼が来るようになったそうです。

    1982年にはカセット・マガジン「TRA」を創刊され、プラスチックス解散後のメンバー達の作品や初期のショコラータの作品ほか、 高橋幸宏さんも、後に「薔薇色の明日」に収録された「前兆」のシングルのカップリング曲「Another Door」で参加。

    1980年代にはYMOメンバーのソロ作品で写真を撮影されていて、高橋幸宏さんに関しては「Once A Fool, …―遥かなる想い―」「... ONLY WHEN I LAUGH」のジャケットやツアープログラム、同時期にスティーブ・ジャンセン(Steve Jansen)と制作したシングル「Stay Close」のプロモーションビデオなでも制作された他、ザ・ビートニクス(The Beatniks)。の2ndアルバム「Exitentialist A Go Go-ビートで行こう-」でもジャケットを撮影されています。

    1992年に出版した写真集「Black and White Photographs」には高橋幸宏さんの「Once A Fool, …―遥かなる想い―」の頃のポートレートが収められています。

    1980年代以降、様々なミュージシャンの撮影の傍ら、ファッション誌の写真でも膨大に撮影されていまが、 その他、\ENレーベルからシングルを発表していた小池玉緒さん(プライベートでのパートナーでした)の写真集「Tamao photographs 1984‐1988」や、1989年のサディスティック・ミカ・バンドの再結成時に参加した桐島かれんさんの写真集「新美人論1」なども出版されています。