■このイベントについて
2007年4月29日に高橋幸宏さんとスタイリストの高橋靖子(Yacco)さんのトーク・ショウがKDDIデザイニングスタジオで行われました。
昨年「住宅情報 都心に住む」(リクルート)2006年8月号にてお二人の対談が掲載されたのも記憶に新しいのですが、先々月に行われたサディスティック・ミカ・バンドの再々結成ライブには写真家で、ミカバンドのアルバムのジャケットも撮影されていた鋤田正義さんといらしていたそうです。
このイベントは、表参道をベースにスタイリストの草分けとして活躍されているYaccoさんが、毎回ゲストを迎えて行われているイベントで、前回のリリー・フランキーさんが出演された際に見に来られていた高橋幸宏さんを次回にということで指名を受けたそうです。
今回は第6回で、過去には坂本美雨さんや立花ハジメさんなどが出演されています。
表参道の魅力を語るイベントだけに、お二人のそれぞれの原宿、表参道辺りの思い出を交えつつ2時間近くにもわたる長いトーク・ショウとなりました。
■開催概要
「午後3時のトークショウ ―表参道物語―Vol.6」
高橋幸宏×高橋靖子(Yacco)
日程:2007年4月29日(日)
開場:14:30
開演:15:00
会場:KDDIデザイニングスタジオ
■観覧レポート
このライブに関することが語られている主な雑誌は下記のとおりです。
会場のKDDIデザイニングスタジオは正面玄関より直ぐのところに階段状になった席を降りるとステージとなっていて、
そこには、ソファーが置かれてステージ向かって左に高橋幸宏さん、右にYaccoさんがお座りになっていました。
そして、左端に、桑原茂一さんと吉村栄一さんがお座りになり、司会進行をしつつ、時折質問をされていました。
お二人は年齢的には少し離れていらっしゃるのですが、ご自身曰く、奥手のYaccoさんとませていた高橋幸宏さんは、仕事こそあまりご一緒することはなかったそうですが、色々なところでお会いになったことがあったそうです。 高橋幸宏さんもお忘れになっていたのですが、1994年か1995年頃にJRAのCMで寿司屋でのシーンに出演された時は、久しぶりに幸宏さんにお会いになったそうです。
長いトークショウだったので、話題も様々だったのですが、いくつか憶えていることを書きます。
■原宿の思い出
高橋幸宏さんが高校生の頃にフランス映画『個人教授』に憧れて主人公と同じリトル・ホンダに乗って、フランス映画のような雰囲気のあった当時の表参道を通って、原宿にバイクを止めて埼玉県の立教高校まで通って
いたそうですが、その映画と同じ様な服やコートを着てパーマをかけていた頃、映画そのまま雨に濡れながら走っていると、おばさんパーマみたいになってしまった悲しい思い出。
■生意気だった頃のお話
高橋幸宏さんが高校生の時に軽井沢でパーティーバンドとして演奏していた頃、フラワー・トラベリン・バンドと一緒にやったこともあるそうです。その時、内田裕也さんに生意気だということで、当時もの凄い人気のあった石原裕次郎さんと舟木一夫さんを足して二で割ったようだということで、舟木裕次郎と呼ばれていたそうです。今でもたまにお会いすると「舟木」と呼ばれることがあるそうです。
Yaccoさんはフラワー・トラベリン・バンドの京都で行われた最後のライブをご覧になったことが自慢だそうです。
■携帯電話のお話
イベント会場の関係で、携帯電話のお話が出ました。
Yaccoさんはフリーでお仕事をされているので、ご自分でマネージメントされているため、携帯電話が出始めの頃にお買いになったそうです。出始めの機種なのでかなり大きかったそうです。
高橋幸宏さんは、そこまで大きくはなかったものの、携帯電話はわりと古くからお持ちだったそうですが、
受信の際は、一切電話には出ず、いつも留守電になっているため、メッセージを後から聞いて連絡されていたため、二、三日遅れてご連絡することもあり、既に用事が終わっていることもあったそうです。
もっぱら、利用するのは、スタジオからスタジオに移動する時に、マネージャーさんに出前の注文をお願いするなんてことがよくあったそうです。
■服のお話
加藤和彦さんがトム・ブラウン(Thom Browne)というデザイナーの一着50万くらいの服を持っているという話を聞いて、幸宏さんも負けじと買ったそうです。
トム・ブラウンはブルックス・ブラザーズと昨年契約したそうなのですが、ブルックス・ブラザーズではそこまで高くならないでしょうから、この服をもっているのは自慢ができるようになるかなあというような話。
それで、今後自分が服を作るとしたら、彼みたいな感じの高級テーラードをやりたいと思っているそうです。
Yaccoさんは高橋幸宏さんが80年代にやっていたブリックス・モノのお店が渋谷のパルコにあった頃に良く買いに行かれていたそうです。
■ミカバンドのライブのお話
サディスティック・ミカ・バンドの再結成ライブの時に、加藤和彦さんが一日4回着替えをされていたという話がでていました。ところが、加藤和彦さんのシャツの襟が片一方出ているのを見つけて、みんな言いいたいけど、言えずにいて、ついに言ったら「わざとだよ」と言ったそうです。でもきっとわざとじゃないよねとお二人で言っていました。
Yaccoさんは、高橋幸宏さんに、ライブ中に目が合いましたよね、とおっしゃったところ、 事前にどの辺にいらっしゃるかわかっていれば、見たかもしれませんが、Yaccoさんがお座りになっていたところくらいだと、 見えなかったですとのこと。自意識過剰かなあということで、笑っておられました。
なお、サディスティック・ミカ・バンドの再結成ライブでは、2時間もドラムを叩きまくるのは無理だと思っていましたが、毎日腹筋60回、腕立て30回やったり、通販で体鍛えるマシーンを購入して使ったりしたら意外と筋肉もついてきて、問題なく演奏できたそうです。
■夢のお話
以前、高橋幸宏さんはニュージーランド移住計画というのがあって、色々と調べたことがあって、ニュージーランドに家を買って、(多分)知り合いのシェフとウエイター(?)をやってくれる人に声をかけて、向こうでホテルをやろうと思ったそうです。
で、誰がそのお金を出すのということになって、資金が足りないので、無理だということになったそうです。なんでもニュージーランドは古い家ほど高いそうで、いいと思う家はとても高かったそうです。
ファンの方々にはよく知られていますが、長年の釣り好きで、伊豆に別荘があるものの、フライフィッシングをやるようになって、夢は家族と犬と川の近くに住んで、いつでもフライフィッシングができるような暮らしがしたい。それで時々音楽を作りたいといったことだったと思います。
Yaccoさんはご出身が茨城とのことで、ずっと都会にあこがれていたこともあり、田舎よりも都会がいいそうです。 原宿、表参道あたりの感じがとてもご自分にあっているそうですし、また、今お住まいになっているところは新宿御苑なんかも 歩いて5分くらいのところにあるそうで、都会にいても快適だそうです。
■犬のお話
犬と言うと、高橋幸宏さんの行きつけのお店があって、そこにいる犬に、飼い主の次くらいに懐かれているそうですが、たまに酔っ払うと家に連れ帰ってしまうそうです。コンビになんかで翌日になってからドッグフードを買って与えると大喜びするそうです。
Yaccoさんは坂上みきさんと一緒に犬を飼っていらっしゃって、餌代などは1円単位でお二人で折半しているそうです。 以前はご近所にお住まいだったそうですが、坂上さんが引っ越されたて少し遠くなってものの、なんとかがんばって通いあっているそうです。 犬種はイングリッシュ・スプリンガー・スパニエルで、家の中では用を足さないので、日に4回もお散歩に行かなければならないそうです。
■CMの話
昨年のライブのパンフレットのご自身の写真を手にした時に、木村拓哉さんとのCM出演のお話があったことを語っておられました。
高橋幸宏さんが和尚さんに扮した写真を手にして「キムタクとのCMのお話は、インパクトが強すぎてダメになった」とのこと。最後までいい線いっていたそうです。
これはなんのCMかはお話されていませんでしたが、いただいたメールによると昨年(2006年)のトヨタ自動車カローラフィールダー「禅問答篇」のCMのだそうです。CMで出演されていたのは柄本明さんだったそうです。(2007年5月より細野晴臣さんが出演する同CMのシリーズが放送開始されました)
■次回のゲスト
次回のゲストは写真家の吉田玲雄さんは、現在『ホノカアボーイ』の映画化にあたって、脚本の推敲中だそうです。で玲雄さんは前回のリリーフランキーさんの時もいらしていて、今回は終盤に到着した際に、呼ばれて急遽ステージにあがりました。
次回一緒に出演する内田也哉子さんとはインターナショナルスクール時代からの友達だそうです。Yaccoさんは『ホノカアボーイ』を紹介していただいてからは、とてもお気に入りで、ご自身の書棚を紹介する時に『ホノカアボーイ』を加えるだけでなく、お知り合いの方々にも紹介して廻っているそうです。
そうそう、ミカバンドのライブの会場内での打ち上げで、布袋寅泰さんからYaccoさんにこのトークショーに今度出演させてくださいとお願いされたそうです。
先ごろYaccoさんは『私に拍手!』を出版されたそうですが、表紙の細江英公さんの『たかちゃんとぼく』の写真の話もありましたよ。
■表参道のヤッコさん
昨年出版された高橋靖子「表参道のヤッコさん」には、ジギー・スターダストの頃からのお付き合いのデヴィッド・ボウイ(David Bowie)とのエピソードがたくさん語られていますが、1980年のYMOのニュー・ヨーク公演を見に行かれていて、
同時期にブロードウェイで「エレファントマン」のミュージカルに出演していた、デヴィッド・ボウイのミュージカルをYMOに見せようとチケットを手配したものの、デヴィッド・ボウイが過労で倒れたため、引き合わせることができなかったそうです。
ちょうどその頃、大島渚監督から「戦場のメりークリスマス」の出演依頼を受けていたため、Yaccoさんに相談されていたのもこの時だそうです。
なお、細野晴臣さんともお付き合いは古く、1969年にYaccoさんがスタイリストの修行のためニュー・ヨークに行った際には、エイプリル・フール(The Apryl Fool)時代の細野晴臣さんからレコードの購入をたのまれたそうです。