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Who's Who: Tony Mansfield(トニー・マンスフィールド) | 2005年9月8日更新 |
Tony Mansfield は1979年から1982年まで自身のバンド New Musik を率いて、イギリスで数枚のヒットシングルをリリースしました。バンドではメンバーとして、ソングライターとして、プロデューサーとして活動。 1979年11月にロンドンに行った幸宏さんが、友人から(おそらくトシ矢嶋さん)聴かせてもらった、カセットテープの中に New Musik の「Straight Lines」が入っていて、興味を持ったそうです。その後、1980年に加藤和彦さんのレコーディングでベルリンに訪れていた時に、ハンザ・スタジオで New Musik の「Living By Numbers」を聴き、スタジオのエンジニアーや、細野晴臣さん、大村憲司さん、加藤和彦さん等と New Musik っていいねっていう話をしていて、早速翌日アルバムを手に入れたとか。
その後、YMOの2回目のロンドン公演の一週間ほど前に、水上はるこさんという音楽評論家の方が、New Musikにインタビューをしたいと彼らに連絡をとると、彼らの方でYMOに会いたいからあなたのコネでなんとか会わせてくれと逆に頼まれたそうです。 また日本ではレコードのリリースがなかった New Musik ですが、当時できたばかりのEpic SONYに、幸宏さんがおすすめしてリリースに至ったそうです。日本盤のライナーノーツも幸宏さんご自身が糸井重里さんと書いています。(2001年1月についに日本で初CD化されました。しかも世界初CD化曲を含むボーナストラック付き) 幸宏さんが初のロンドンレコーディングを行った1981年の「Neuromantic」ではTony が Backing Vocal と Keyboard で参加。翌年の1982年にも「What, Me Worry?」のレコーディングに参加しています。 この頃からプロデューサーとしても知られるようになり、NAKED EYESのアルバム「Burning Bridges」と「Fuel For The Fire」、AZTEC CAMERAの「Walk Out To Winter」。MARI WILSONの「Just What I Always Wanted」、A-HA「Hunting High And Low」、THE B52's「Bouncing Off The Satellites」、などアメリカでのナンバーワンヒットを含む作品を制作しました。 1984年の幸宏さんのアルバム「Wild & Moody」でも参加の依頼をしたそうですが、ロンドンに来てくれるならということだったため、実現しませんでした。
それから月日はたち、東芝EMIを離れてフットワークが軽くなった幸宏さんは1997年に Steve Jansen とのコラボレーションを再開。
90年代にはそれほど大きなヒットは無かったようですが、フランスやスペインのアーティスト達の作品を手がけるとともに、日本のアーティストの作品にも参加。
幸宏さんのアルバムでの参加作品 1981年「Neuromantic」Backing Vocal、Keyboardで参加 1982年「What, Me Worry?」Backing Vocaldで参加
YUKIHIRO TAKAHASHI UK UNIT PULSE 1997年「PULSE×PULSE」Backing Vocaldで参加
「the Music World of Jonas Warstad」ファンサイト。ここに関連リンクがあります。
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