Top Page / Who's Who / 三浦憲治

■三浦憲治さんについて

    1949年(広島市生まれ)

    東京写真短期大学在学中より写真家の長濱治さんのアシスタントとなる。1973年よりフリーのカメラマンとして独立。雑誌、広告、写真集などで、ミュージシャンや俳優などの写真を撮り続けています。

    1971年より来日ミュージシャンの写真を撮りだす。1973年には絶頂期のサンタナの幻の日本公演のオフィシャルカメラマンとして撮影。このライブは後に22面体のジャケットを横尾忠則さんが制作し話題になりました。

    YMOのメンバーとは小学館の雑誌「GORO」の音楽ページを担当していた頃から ティン・パン・アレーサディスティック・ミカ・バンドなども撮影されていたそうですが、 YMOを撮影したのは、やはり「GORO」の取材で1979年8月のTubesのオープニング・アクトでロスアンジェルス公演を行ったのが最初だそうです。

    続く、同年秋に行われた第一回目のワールドツアー以後も「GORO」の取材の傍ら、オフィシャルカメラマンとしてYMOを撮影し続け、 一ヶ月以上の長丁場となった1980年の二回目のワールドツアーで撮影した写真は写真集「OMOYAGE」として発表されました。

    1983年のYMOの最後のツアーの写真集「シールド(SEALED)」も翌年の1984年に発売されています。石や板などに乳化剤を塗ってフィルムも焼き付けたメンバーの写真を使うなど、YMO的とも言える試みはとても新鮮でした。

    1993年のYMOの再生時に、レコーディング風景はナン・ゴールデンによる写真集が発表されていますが、 ライブの中心とした写真集「TECHNODON WAKE UP」は、やはり三浦憲治さんが担当しています。

    1989年のサディスティック・ミカ・バンドの再結成時に発表したアルバム「天睛」 の頃以降は高橋幸宏さんのソロアルバムのジャケット写真やライブの写真を多数撮影されています。 (サディスティック・ミカ・バンドについては2007年の再々結成時のライブなどもオフィシャルカメラマンとして撮影されています。)

    魚眼レンズ、パノラマ、赤外線フィルムなどを使ったユニークな写真を多数発表されていますが、Human Audio Spongeが 2007年5月19日に行ったライブ「SMILE TOGETHER PROJECT SPECIAL LIVE 2007」 のライブ当日にもお三方を魚眼レンズを使って撮影されています。 「サブラ(sabra)」2007年6月28日 011号では、お三方を三浦憲治さんが撮影されているところを篠山紀信さんが撮影した写真が掲載されました。